本日やや体調不良。
のどが痛いが熱が出ていないのが幸い。
さて、
書こう書こう
と思って書くことができなかった
表題の民族資料館について書こうと思います。
わが母校給田小学校には
民族資料館という建物があります。
給田小がリニューアルしてから、
かなり目立つところにお引越しし、
正門を入ってすぐのところにあります。
そして運がいいと中を見ることができます。

給田は字のごとく
田畑中心の地域でした。
今でも多くの農作地を見ることができる土地です。
江戸時代の残っている記録を見ると
民家46戸、300人が暮らす小さな村でした。
戦後、都心に人口が流入すると同時に給田地域も
宅地化が進んでいきます。
給田が1丁目から5丁目という風に整備された
昭和45年の記録をみると
1932世帯5670人となっています。
この中には生まれていないので自分は入っていませんが、
我が藤井家も5人が入っています。
昭和50年を過ぎると宅地化のスピードはさらに進んでいきます。
藤井家2階から見えた富士山も見えなくなりました。
平成25年12月の給田は
6204世帯12195人です。
国連加盟の国々で給田より人口が少ない国が三つもあります。
(バチカン、ツバル、ナウル。一つ上のパラオは2万人)
と今でこそ人口1万人を超える地域になりましたが、
先ほど書いたとおり農家の集落からスタートしており、
民族資料館には多くの農耕器具が展示されています。

農耕器具以外の物も。

給田の歴史と誇りある文化の結晶ですので、
給田小学校へお越しのさいは覗いてみてください。