本日は仕事で都内各所を転々と。
気になったことを二つ。
たまたま読んでいた文章に
「田中君は石油取得外交をやったから、米国の琴線に触れたのではないか。」
というのがあった。
田中君というのは田中角栄元首相のこと。
そして語っているのは中曽根大勲位である。
このくだりは当然ロッキード事件に関しての証言で
当時、大勲位も疑う噂があり、それを河野一郎のせいにした
という文献を以前読んだことがあるのだが
だからこそ、この言葉は信用なんかできないわけだが、
まあ、何が言いたいかというと
内容はどうでもいいのだ。
誤解がないように先に言っておくと中曽根大勲位を批判する気はまったくない。
むしろ行官庁の改革など、その功績はすばらしいと思う。
琴線に触れるの使い方が違うということが気になったのだ。
言葉を正確に捉えると米国は田中元総理に感動したことになってしまう。
世の中にはどちらとも取れそうでいて、実は反対側の意味が無いという言葉が多い。
よく、中高生が「情けは人のためならず」と言葉を
情けをかけるのは他人のためによくない
と誤解して使っているといった例や
天上天下唯我独尊を
傲慢な人間を表現する際に使ったりと
様々例が挙げられる。
自分も未だに言葉に関しては毎日が勉強であり、
毎日、何かしらの言葉を必ず検索している。
言葉を正しく使うことを教育ではならう。
それは昔からそうだと思う。
でも100年前の言葉はわかりづらい。
300年前の言葉は解説が必要、
1000年前の言葉はかなりの勉強の上でなければ理解できない。
何が原因で言葉が移り変わり、
時代が移り変わるのか。
ふと研究してみたくなった。
移り変わるといえば最近は自転車に関する問題も移り変わってきた。
それは一方では良い意味で。
また一方では悪い意味で。
環境を考えると自転車は今後も必要不可欠で、
ガソリンで動く自動車が消えるかもしれない21世紀でも最も重要な乗り物である。
そんな自転車の事故が増えている。
自転車の厳罰化のニュースが増えているのは仕方ないのかもしれない。
昔、某区議会議員が飲酒した後に自転車のって帰っているのを見て、
こんな人間が区議会議員やっているのかと憤ったこともあったが、
飲酒運転しても道路逆走しても、信号無視しても
警察が捕まえているところを見たことはなかった。
それもそのはず、警察自体が自転車のルール無視を日常茶飯事にしているからだ。
厳罰化のニュースもルール徹底もいいが
まずは
その模範となるべく警察官が自転車ルールの徹底をしなければ
問題の解決にはつながらない。
一方通行の逆走禁止など、
自動車免許を持っていないものに
はたして徹底できるのか?
今後の流れに注目である。
自転車のくだりは視覚障碍者の多くの方々が自転車事故で泣き寝入りしている
というニュースを読んだことをきっかけに書きました。